2009年11月25日水曜日

本来無一物

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11月から
炉に変わりました
  

先生に断りを入れて
お点前の途中で撮らせていただきました

「本来無一物」*
ほんらいむいちもつ

* ネットより
その昔、中国の広東州の新州で百姓を仕事として働いていた青年がひょうんなことから、黄梅山の五祖大師に会うことができた。その時、大師は「何しに来たか」と尋ねられた。「仏になりたいと思って参りました。」とお答えになられると、「おまえのような南国の山猿がなんで仏になれるのか。」とすげないお言葉でした。しかし、この青年は、「人に南北ありといえども、仏性になんの南北あらん。」とお答えになられたのです。
大師は、大層驚かれましたが、もっと心底を知るために、米つき部屋に住まわせたのです。そんなこんなで約8ヶ月の時間が流れたある日のこと、米つき部屋の前で大きな声で歌を歌う人あり。
「身は是れ、菩提樹
心は明鏡台の如し
時々に勤めて払拭して
塵埃をして惹かしむることなかれ」
この歌を作った人を尋ねれば神秀という六代目の祖師になられる人とか。
が、この青年も歌ができたといい、書いてもらった歌がこうでした。
「菩提もと樹なし
明鏡また台に非ず
本来無一物
何れのところにか塵埃を惹かん」
皆が驚きました。なんという人はみかけによらんものだと。あの米つき小屋にいる男が師となる人よりすばらしい歌を作るとはと。神秀さんのより、いいぞと騒いでおりましたところ、そっと大師が米つき小屋に来られ、改めて、問われたのです。「どうだ。米はつけたか?」と。そこで青年は「米はとっくにつけたのですが誰もふるいにかけてくれません。」と答えられたのです。
大師は、この青年を六祖として認め、袋叩きに会わないように南の方へ逃がしたということです。この青年こそが慧能大鑑禅師なのであります。
神秀は、「心は鏡のように本来清浄なものだから、塵や埃をつけぬようにせよ」と歌い、
慧能は、ぴかぴかの鏡がない自由を歌われております。従って、時々に払拭する必要もないし、心が本来無一物と徹底するならもとより塵も埃も付着しないのであります。
五祖大師はもとよりその弟子達もその無一物を感じとっていたのです。

臨済宗妙心寺派 臨川山吸江禅寺
りんせんざん ぎゅうこうぜんじ
住 職 佐 橋 大 観

 
含蓄あるお言葉なのですね
般若心経にも通じるのでしょうか
 
照り葉がきれいでした
 
紅葉の季節に合わせ
Nancyの大好きな組み合わせでお稽古に行ってきました
 
着物、帯ともに大島紬です





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