白洲次郎・・・
三田(さんだ)藩の家老の末裔、
綿貿易で巨万の富を築いた白洲商店の次男
ケンブリッジ大学へ留学
吉田茂首相の右腕
白洲正子・・・
薩摩藩の伯爵家出身の令嬢
アメリカへ留学
帰国直後に出会い、お互いひと目惚れで
電撃結婚
《白洲次郎語録集》
「プリンシプルを持って生きていれば、人生に迷うことは無い。プリンシプルに沿って突き進んでいけばいいからだ。そこには後悔もないだろう」
あくまでGHQ主導ですすめられようとした憲法改正の動きに抵抗して・・・
「我々は戦争に負けたのであって、奴隷になったわけではない」
「すみませんというのは駄目だ。Say Thank You!」
運転手つきの車なのに助手席に乗るのはなぜかと聞かれ
「後ろでふんぞり返っているやつはみんなバカだ!」
ある親しい代議士が秘書を使って白洲を電話口に呼び出したとき
「用があるなら自分で電話しろ! 君には手がないのか」
「運転手を待たしてゴルフするやつなんか、ゴルフをする資格はない」
GHQ民政局長だったホイットニーに英語を褒められて
「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますよ」
等々。。。
⇈ ⇈ ⇈
白洲次郎の愛車(ポルシェ)の駐車場だったところは
今は休憩所になっている
正面の写真はご本人
「八十になるまでポルシェ911を乗り回した」そうです
《白洲正子の名言集》
「お能には橋掛り、歌舞伎にも花道があるように、とかく人生は結果より、そこへ行きつくまでの道中の方に魅力があるようだ」
「省みると私の一生は道草ばかり食ってたらしい。しぜんそれは物を書く上にも現れずにはおかない。それで損もしたが、得をしたほうが多かったようである」
「日本には宗教がないという話だが、歩くことが宗教であったかも知れない。神さまは天に在すのではなく、山川草木の中に充満しているのではあるまいか」
「伝統をうけつぐとは、過去にしがみつくことではなく、あくまでも前向きの姿勢を崩さないことだ」
「田舎に住んで、まともな生活をしている人々を、私は尊敬こそすれ、田舎者とはいわない。都会の中で恥も外聞もなく振舞う人種を、イナカモンと呼ぶのである」
等々。。。
「次郎と正子の趣味(hobby)は違っていたが
趣味(taste)は似ていた」
という言葉が二人の関係をよく表していると思います
そのtasteの部分に共感し、憧れます
ショップで購入した絵ハガキ
下の「武相荘」は記念に押したハンコ
姉にお揃いで買ってもらった
次郎直筆の「PLAY FAST」Tシャツ
<理事長をつとめた軽井沢ゴルフ倶楽部で、
マナーの悪い輩を容赦なく叱責。
スロー・プレーを嫌って自筆の「PLAY FAST」を
バックプリントしたTシャツをつくり、
マナー向上にも英国流のユーモアを織り込んだ>
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おお。
返信削除お勉強させていただきました。
こないだ、テレビでもあってましたよね。
このご夫妻のドラマ。
似たもの夫婦で、しかも、正子さん、気強そう~。
見てはなかったのですが、
宣伝の内容から・・。そんな印象。
後世に残る言葉を残した方々・・なのですね。
語録、載せてくださって、ありがとう。
私もドラマは見ていません。
返信削除明治生まれの夫婦ながら、
互いに海外留学の経験からくるものかどうか、
己を主張するという点において
対等な夫婦だったようですね。